大阪高等裁判所 昭和33年(ラ)171号 決定 1958年8月19日
抗告人 沢田武重
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
抗告人は、原決定を取消す。相手方が神戸地方裁判所昭和三三年(ヨ)第五八号債権差押決定正本に基き、昭和三三年二月一九日抗告人に対する強制執行として、抗告人の兵庫県に対する別紙表示債権につきなした強制執行はこれを許さない。原審及び当審の申立費用は相手方の負担とする、との裁判を求め、その理由として主張するところは、別紙抗告状の理由及び上申書に記載する通りであり、これに対する当裁判所の判断は次の通りである。
按ずるに、旧憲法の下においては、民事訴訟法第六一八条第五号の「官吏」の観念に、地方議会の議員が含まれていないことは、極めて明かであつて、何等の疑問を生ずる余地がなかつたのであるが、新憲法になつて、いやしくも国又は地方公共団体の職務に従事する職員を、ひとしく公務員と称するに至つたため、前示「官吏」も、すべての公務員を含むのではないか、との疑いを生ずるに至つたのも理由のないことではない。また、抗告人主張のごとく、右民訴法の規定が主として社会政策的理由によつて設けられたものである、との見解に対しても、異論はないと考える。しかしながら、同条第一項各号にも、その間、立法理由に多少色合の違いを認めない訳にはいかないから、たんに同条の主たる立法理由を肯定したからといつて、当然には地方議会の議員が、その地位に基いて受けるべき報酬等の請求権にも、同条の適用乃至準用があるものとは、にわかに即断し難い。ことに同条は、債権者の犠牲において、債務者を保護しようとする、例外的規定であるとも考えられるので、たんに社会政策的必要の点だけで、同条所定の債権と区別すべき理由がない、との論拠から、みだりにこれを拡張解釈するがごときは、厳に慎まねばならない。抗告人のごとき地方議会の議員が、その地位に基いて受くべき報酬等請求権にも、右同条の適用乃至準用があるかどうかの判定のためには、抽象的に同条の主たる立法理由のみを云々したり又は地方議会の議員も亦公務員である、というような、形式上のことだけにとらわれることなく、進んで、何が故に、とくに同条の「官吏」に対し、その職務上の収入である俸給請求権につき或制限を設けて差押を禁止しこれを保障しなければならない特別の理由があるのかという点にまで思いを致すことを要すべく、そして沿革的に、旧憲法下では、地方議会の議員を含まないことの明かであつた同条の「官吏」は、その職務上の収入を、その地位に相応する生活を維持しかつ国家的公益的業務に専念せしめるための唯一の生活給として、支給されているものであり、それ以外の生活給を得ることは法律によつて禁止されているが故に、これを無制限に差押えることは、「官吏」を、生活上窮迫の状態に陥らしめ、その地位に相応する生活の維持を困難にし、その従事する国家的公益的業務に悪影響を及ぼさしめるおそれがあるので、これを防止するため、あえて債権者の利益を犠牲にしても、右収入の差押を制限しようとの社会政策的かつ国家公益的理由に基くものと思料するところ、今これを現行法制上から、同条の「官吏」であることに近時判例学説ともに異論を見ないいわゆる一般職国家又は地方公務員等と地方議会の議員との、各機関構成上の地位の相違に伴つて生ずる法律的特色について検討してみると、前記一般職公務員等にあつては、国民全体の奉仕者として、全力を挙げてその所属する政府又は地方公共団体の職務にのみ専念しなければならないところの服務の根本準則に基き、その職務の遂行については、法令と上司の職務上の命令に忠実に従つて、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてを、職責の遂行のために用い、当該政府又は公共団体がなすべき責務を有する職務にのみ全力を傾倒しなければならない義務を負うと共に経済的には、一切の営利的私企業から隔離され、営利企業以外であつても、いやしくも報酬を伴うものである限り、如何なる事業又は事務に関与することからさえも制限を受けているのであつて、要するに一般職公務員は現行法制上、その職務上の収入を唯一の生活給として支給せられ、それ以外の生活給の支給を受けることは、原則として、一般的に禁止されているのであることが認められるのに反し、地方議会の議員にあつては、ひとしく公務員ではあつても、個々の政策的目的から、僅かに特定公職との兼職を禁止されているか又は当該普通地方公共団体と密接な関係のある請負という特的私企業から排斥されるほか、一般職公務員等に加えられているような前示の一般的な積極消極の法律的拘束力から解放されているのであつて、両者の法律上の性格には、格段の相違のあることを否定することはできないのである。
そうすると、兵庫県議会議員である抗告人がその地位に基いて兵庫県から受けるべき本件報酬等の請求権には、民事訴訟法第六一八条を適用乃至準用すべき立法理由上の根拠を欠くものと解するから、たまたまかりに、抗告人に、その主張の特別事情に基く社会政策的理由があつても、そのことを理由として、抗告人の本件債権に同条の適用乃至準用を肯定する訳にはいかず、これに反する抗告人の主張はすべて採用し難い。
また抗告人の指摘する国税徴収法第一六条第二項の趣旨についても、当裁判所は原決定と同一の理由で、抗告人の主張を理由あらしめるに足りないものと考えるし、さらに民事訴訟法第五七〇条第一項第六号に、新に「一般勤労者」を加えてこれが生活を保護することになつたことを援用する抗告人の抗告理由も亦、前段に述べた右判断を左右するに足る証拠となし難いものと考える。
その他職権をもつて記録を調査しても、原決定には、これを取消さなければならないような何等の瑕疵をも含んでいないものと考えるから、本件抗告は、その理由がないものとしてこれを棄却すべく、民事訴訟法第四一四条、第三八四条、第八九条に従つて主文の通り決定する。
(裁判官 藤城虎雄 亀井左取 坂口公男)
(別紙)目録
一、債務者(本件異議申立人・以下同様)が第三債務者兵庫県(代表者知事阪本勝)より毎月支給を受ける兵庫県会議員としての報酬の昭和三十三年二月分より以降の分にして、すでに他の債権者片山産業株式会社より差押の上取立命令によつて毎月取立てられている金額を控除した残額
二、債務者が第三債務者より兵庫県会議員として昭和三十三年六月に報酬月額の百分の三十、昭和三十三年十二月に報酬月額の百分の百三十の割合によつて各支払を受ける期末手当の債権
三、前記第一、二項に表示する債権を合して前記債権者が債務者に対して有する債権の額に満つるまで。
抗告の理由
一、抗告人の本件異議申立理由は原決定の理由中に摘示された通りである。さて本件は要するに抗告人の兵庫県に対する別紙表示の債権を含む申立人の兵庫県に対する議員たる報酬債権が民事訴訟法第六一八条第一項第五号に所謂官吏の職務上の収入に該当するかの法律解釈の問題に帰する。
二、原決定は、県会議員たる申立人の兵庫県に対する報酬手当の支払請求権は地方自治体の機関構成者たる資格において当該自治体に対して有する公法上の権利というべく斯かる公法上の機関構成者たる地位に伴う報酬請求権である点から、これを国家公務員及地方公務員の国家又は地方団体に対する俸給請求権と同性質のものであることを認めながら、地方議員はその生活維持の資を専ら議員の報酬にのみ依拠すべきものとは定められていないし報酬を伴う兼職は一般的に各自の判断に放任したものというべきであるから之に民事訴訟法第六一八条第一項第五号を拡張適用又は類推適用若くは準用すべき理由はないと判断し、また国税徴集法第十六条第二項の債権差押禁止規定は国家権力の自己謙抑的行使原理の適用であつて之を平等なる地位において対立する市民生活関係上の二当事者間の利害調節を目的として設定せられた民事訴訟法第六一八条等一般私法法規と同一趣旨となすことを得ないから、右国税徴収法の規定は民事訴訟法規の適用の有無を決すべき根拠として授用し得べき共通の地盤を有するものでないとして抗告人の本件異議申立を棄却している。
三、しかし民事訴訟法第六一八条同第五七〇条の立法趣旨は、債務者及びその扶養を受ける家族の最少限の生活の保障を奪うのは人道問題であるだけでなく、これによつて公私の扶助を余儀なくさせその犠牲において債権者の個人的満足を得させるのは不当であるとの社会政策的理由及び国家的、公益的業務に服する者の業務並びに生計の保障を目的としていることは学説(兼子一著強制執行法一七五頁一九五頁参照)も認めているところである。しかるに原決定は何故か前記民事訴訟法上の差押禁止規定の社会政策的立場から判断することをせず寧ろ枝葉的な債務者に対して要請される兼職禁止の緩厳の度合により右差押禁止条項適用の有無を決定していることは抗告人の理解に苦しむところである。
債務者の兼職禁止は使用者たる雇主が被用者たる債務者に対しどの程度職務に専念する義務を負担させるかの雇傭契約上の地位に基因する問題であつて、独り公務員のみならず広く一般私企業においても態様程度において多少の相違はあつても就業規則で規制しているところであつて、他の職との兼併の禁止の緩厳を尺度として債務者の職務上の報酬請求権が差押禁止債権であるかの判定の基準とすべきものでないことは当然であつて、原決定は民事訴訟法第六一八条の法意を解せず右条項を適用するについての判断の基準を誤つたものというべきである。
四、国税徴収法が国税の徴収手続を定めたものであつて対等私人間の権利実現手続を定めた民事訴訟法と別異の地盤を有するものであることは原決定の説明を俟つまでもなく当然であるしかし戦後最近において、国税徴収法第十六条差押禁止条項に第二項を追加して広く報酬債権の差押禁止規定を新設補足し、また一方において、民事訴訟法第五七〇条第一項第六号に従来官吏教師等だけに認められていた差押禁止物を一般勤労者に拡張した等の立法の沿革経過からして国税徴集法第十六条第二項の規定は単にこれを民事訴訟法第六一八条の解釈適用に授用し得べき共通の地盤を有しないものとし、右規定の存在に一瞥も与えようとしない原決定の態度は余りにも概念法学的な形式的見解であつて、これら一連の立法の基底をなす社会政策的要請を理解しない謬論であるというべきである。
五、要するに、抗告人の兵庫県に対する議員としての報酬請求権は民事訴訟法第六一八条第一項第五号の官吏の職務上の収入に該当するものと解すべきであつてこれと異る判断を為した原決定は失当であるから之を取消し抗告の趣旨記載の裁判を求めるため本抗告申立に及んだ次第である。
なお、抗告理由の詳細は追つて上申書をもつて補足陳述する所存である。
上申書
抗告人 沢田武重
相手方 近田宗一
右当事者間の神戸地方裁判所昭和三三年(ヲ)第二三二号仮差押執行方法に対する異議申立事件について同裁判所が昭和三十三年六月九日なした決定に対し抗告人は同月十七日抗告の申立をなしたが抗告の理由を左の通り補足陳述する。
一、民事訴訟法第六一八条第一項第五号の官吏には地方公務員である県会議員を包含するが地方議員も勤労者に外ならない。
そもそも官吏という用語は明治維新以後においての官僚的公務員制時代の残滓であり終戦後民主的公務員制に改革されてから従来官吏と呼んでいたものを広く公務員と称し公務員が天皇の官吏から脱して憲法第十五条の規定により国民の公僕たる地位に移転したのである。従つて現在の民主的公務員制のもとで官吏とは国家公務員及び地方公務員を指称するものである、さて公務員も一般私企業の被用者と同様に勤労者でありただ勤労の対象が国家又は公共団体であるため特別の地位にあるだけであつて、従来封建的乃至官僚的公務員制下では官吏が社会的経済的に上層の地位が認められたので勤労者としての立場から余り考えられず就中地方議員は終戦後の改正まで名誉職であつて地方の有力者財産家の名誉慾を満足させる閑職であつたことは我々の記憶に明らかなところである。然し現在の地方議員は次項以下で詳述する如く名誉職ではなく専務職であつてそのため地方自治法第二百三条に基きその属する地方団体に報酬費用弁償期末手当の請求権を有し兵庫県においても昭和二十七年三月三十一日県条例第五号を公布して議員の右請求権の内容を定めてをり、以て議員及びその家族の生活を保証するとともに議員がその職務に専念することを義務付けている。
二、地方議員は報酬を伴う兼職を一般的而も各自の判断に放任せられている旨の原決定の見解はことさらに事実を曲解した独断である。
即ち地方議員も他の公務員と同様職務に専念する義務を負い地方自治法第九二条兼職の禁止条項に<1>普通地方公共団体の議会の議員は衆議院議員又は参議院議員を兼ることができない<2>普通地方公共団体の議会の議員は地方公共団体の議会の議員及び常勤の職員を兼ねることが出来ない。と規定され同法第九二条の二関係企業からの隔離条項に普通地方公共団体の議会の議員は当該普通地方公共団体に対し請負をし若しくは当該普通地方公共団体において経費を負担する事業につきその団体の長、委員会若しくはこれらの委任を受けた者に対し請負をする者及びその支配人又は主として同一の行為をする法人の無限責任社員取締役、若しくは監査役若しくはこれらに準ずべき者支配人及び清算人たることが出来ない。と規定されている外裁判官(裁判所法第五十二条第一号)教育委員会の委員(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第六条)海区漁業調整委員(漁業法第九五条)日本国有鉄道の役員及び職員(日本国有鉄道法第二六条第二項)日本専売公社の役員(日本専売公社法第一六条第三項)の職との兼職が禁止されているのである。因みに国又は地方公共団体の公務員が立候補する際は公職選挙法第八十九条の規定により在職のまま立候補することを禁じられているため辞職しなければならないし又一般私企業においても議員に立候補の場合は退職又は休職(無給)の取扱をなしているのが通常であつてこれが兼職を無条件に許しているところはないから議員在任中は議員たる報酬を本人及びその家族の生計費に充足する外ないこと勿論である、即ち殆んどすべての地方議員は地方団体からの報酬を自己及びその扶養する家族の唯一の収入の源泉として生活している。
抗告人も県会議員に立候補するまで郵政省職員(国家公務員)として勤務していたが議員に立候補するため公職選挙法に則り郵政省を退職し選挙の結果幸にして当選したので爾後現在に至るまで真面目な選良として兵庫県会において県政の枢機に参画していると共に選挙民の公私の世話に日夜奔走しているが申立人及びその家族は兵庫県から支給される議員たる報酬を唯一の収入として生活し、且議員として公私の職務を執行してきた。従つて相手方が申立人の本件報酬請求権に対し昭和三十三年二月十九日強制執行をなしたため以後申立人は唯一の生計の資を絶たれ、県会議員としての職務の執行に障害を来たしているのは勿論申立人及び家族一同は全く途方にくれている。本件強制執行のあつた当初は親戚知己から生活資金の授助を受け辛うじて抗告人及家族の生計を維持していたがその後既に六ケ月の間全然収入が断たれたので抗告人の家庭経済はまさに破綻に瀕している。明確な返済計画がないのに金融機関から高利の借金はできないし、他人の物を盗つたりすることは勿論できない。だからといつて家族一同拱手して餓死するのを待つている訳にはいかない、貯えのない給料生活者の俸給が六ケ月間欠配した場合の家庭経済の窮状はこれ以上描写縷陳するまでもなく深刻そのものである。
三、地方議員が地方有力者の名誉慾満足のための名誉職であつた旧憲法時代は兎も角国民全体の奉仕者として公務員たる身分となり議員及其の家族の生計費を保障するに必要な報酬を支給し議員をして地方自治の真髄に専念せしめんとする新憲法下の地方議員の報酬債権は民事訴訟法第六一八条第一項第五号の官吏の職務上の収入に該当すること明白である個々地方議員中に少数の会社重役、財産家があつて、議員の報酬債権をその生計の源泉にしていないといつて右認定の妨げになる訳はない。何故なら裁判官等の司法官、内閣各省の行政官、私企業の社員の中にも自己に対する給料に頼らず親その他の親戚の収入に生活を依存しているもののあることは我々のよく耳にするところであるからである。
ところで民事訴訟法第六一八条同五七〇条が債務者及びその扶養を受ける家族の最少限の生活を保証するという社会政策的理由及び国家的公益的業務に服する者の業務並びに生計の保証を目的としていることは抗告人が抗告の申立書で陳述した通りである、さて本件強制執行により抗告人の唯一の収入源である議員たる報酬請求権は昭和三十三年二月分から全額差押され以後現在に至る六ケ月間抗告人の収入は皆無で地方自治法により抗告人に課せられている議員としての職責を果し得ないのは勿論抗告人及びその家族の最低限の生活維持さえ困難となり、早急に公私の授助を受けねばならぬ事態に立ち至つているが斯かる惨酷な強制執行が現行法の下で許容されるとは到底考えられない。
民事訴訟法における前記差押禁止規定は斯かる事態の発生を未然に防遏するという社会政策的要請から設けられたものであつて、右規定の法意を解せず抗告人の議員たる報酬債権の全額の仮差押執行を敢てなした本件強制執行の違法であること明白であり斯かる違法執行を容認し抗告人の異議申立を棄却した原決定も又違法であるからこれを取消の上右強制執行の排除を求めるため本件抗告に及んだ次第である。